成人式に行かなかった人たちへ。

 成人式に行かなかった人たちへ。

 

 学期末のレポートに追われているのに、いまいちやる気が出ないけど文章は書きたい。じゃあ、なんか書くかということでタイムリーな話題でも綴りますかという次第です。

 

 結論から言うと、僕は成人式に行きませんでした。

「成人式に行かないやつはインキャ」「わんちゃん恋人ができる」「昔の友達と成人式で会わないと二度と会えない」など、行かないだけで色々言われますよね。

 後、僕は性別が男なので、「振袖が着たかった」「親に振袖姿を見せたかった/見せろと言われた」などの意見は知らないです。どうしても、成人式に行きたくなかったら前撮りで済ませればいいんじゃないですかね。拒否権は誰にでもあると思うので。

 

 そもそも、何故成人式に行くことが当たり前となっているのか。

 そんなの「みんなが行くから」ですよね。みんなが誰か知りませんが、「みんな」が行くから常識になっていて、その常識――当たり前の概念からはみ出す人間のことを、悪く言いたくなるし、悪く言われる。

 成人式は行くもの。この考えを持っている人間は、今まで真っ当に生きてこれた人間だと思います。このまま自分の人生を恥じずに、生きてください。

 

 子供の頃に、ポケモンが流行りました。モンハンが流行りました。

 ゲームを持っていない人間は会話に入れませんでした。

 しかし、あなたはゲームが大嫌いでした。それも、することが苦痛になるくらい嫌なもの。

 それでも、あなたはゲームを買いますか?

 

 自分はおそらく買いません。買える人間なら、成人式に行っています。

 

 例えが分かりづらいのなら、違うものに置き換えましょう。

 あなたは小学二年生。なぜか、クラスではバイオハザードが流行っていました。

 あなたは、かなりの怖がり。ホラー映画を見た日には、夜中に一人でトイレに行けません。

 それでも、あなたはバイオハザードをしますか? ホラー映画を見ますか?

 

 結局、自分が苦手、嫌いなモノが流行してたらそれに合わせられるかって話なんですよ。自分は協調性ゼロのインキャオタクなんで、自分が不快に感じちゃうものを自ら進んでやりません。

 

 ところで、話は変わりますが「アクティヴレイドー機動強襲第八係―」という作品を知っていますか。人生について、一つの正解が綴られている作品なんですが。

 

 近未来を(西暦二千三十五年)舞台とし、パワードスーツ「ウィルウェア」を悪用する犯罪者に対し、同じく「ウィルウェア」を駆使し対抗する警視庁の特殊部隊の戦いを描く作品だ。警察官という正義に位置する人間に焦点を当てているため、犯罪者を成敗していくのが物語の流れとなるのだが、正義感や信念、法律への解釈の仕方など同じ警察でありながら異なっているため、正義と正義の衝突は見ていて考えさせられ非常に興味深い。

 特に印象に残っている場面がある。機動強襲室第八係(ウィルウェアを駆使し犯罪者に立ち向かう部隊)に配属されたての女子隊員――花咲里あさみは、法律は正義のためにあると考えている十九歳の若者だ。まだ若い彼女は、正義を貫くために法律があり、法律は正義のために存在すると主張しているが、部隊の室長(ボス)である山吹凛に、法律は守るためでも正義のためでもなく取り締まるためにあると言い負かされてしまい、信念が揺らぎ成長する正念場へと展開していく。

 これは、所詮創作物であり、今から二十年後の世界など知る由がない。ましてや、警察がどのような信念で働いているかなど、警察でもなく志望すらしたことのない知識のない私にはわからない。言えることがあるとすれば、本来の意から離れてしまい正義と言い切れない正義ほど厄介なものはない。

 一度は見たことがあるのであろう、ダークヒーローが活躍する作品を例にとってみても違和感を覚えたことがあるはずだ。どうしても、悪が正義に見えて正義が悪に見える瞬間を体験したことがないだろうか。悪は正義に成り得て、正義は悪に成り得るのである。

 人によって常識が違うように、人によって正義と悪の境界線は違う。自己判断で正義を一方的に決めているとしたら、それは自己中心的な押し売りに他ならない。

 誰も死なない、誰にも迷惑のかからない犯罪があれば、犯罪ではなくなり誰もが悲しまない理想的な世界になるが、そんなのは現世ではない。シャングリラは存在しないからシャングリラなのだ。

 結論としては、正義だとして行ったことを悪だと捉える人間は少なからず存在し、悪だとして行ったことを正義だと捉える人間もいる。

 そのため、十割正義は存在しないのである。にも関わらず、十割悪意で行った犯罪は悪として捉えられる。

 この世界は、薄汚れている。善人はいなくとも、偽善者は存在する。真面目な成績優秀者が、缶を道端に投げ捨てた現場を目撃されたら必要以上に悪く言われ、普段素行の悪い不良が捨てられた缶を拾ってゴミ箱に捨てていると、必要以上に褒められる。

 そう、答えは簡単だ。人間は、自身が決めた曖昧な正義と偏見に支配されているのだから。

 

 昔書いた文章の引用なので、適当に流していいんですがここだけ注目してほしい。

花咲里あさみは、法律は正義のためにあると考えている十九歳の若者だ。まだ若い彼女は、正義を貫くために法律があり、法律は正義のために存在すると主張しているが、部隊の室長(ボス)である山吹凛に、法律は守るためでも正義のためでもなく取り締まるためにあると言い負かされてしまい、信念が揺らぎ成長する正念場へと展開していく。

 

 人間は正義と悪の境界線のような明確な線引きに支配されているということを主張したい。みんなちがってみんないい、だなんてわざわざ授業で言われるにも関わらず、自分たちの決めた常識からはみ出す人間を不快に思う傾向がある。

 だから、ポケモンを買っていない人間を悪く言うし、いじめも起きる。同調しないと上手くやっていけないのだ、人間なんか。

 わざわざ、ポケモンが嫌いとかは言う必要はない。心の中で、押しとどめておけばいい。押しとどめたら、押しとどめたで「なんでポケモンやらないの? おかしいよ」みたいに言われるかもしれない。そこで、相手を不快にさせないように言葉を選んで断っても、悪く言われるのなら、環境が変わるまで我慢するしかない。枠がはみ出た人間は、迫害されがちなのだから。

 

 それでも、成人式に行った方がいいという意見には少しだけ賛同できる箇所はもちろんある。成人式に行く「べき」はただの迷惑の押し売りだと思うが、行った方がいい「かもしれない」なら、信じてもいいかもしれない。

 自分だって、中学生の時に仲が良かった人間の中には会いたい人間がいた。

 今なら、LINEやTwitterのようなSNSがいくつもあるから関りが切れるなんてないと思うが、自分は生粋のメンヘラ。定期的にSNSのアカウントを全部消していた。人間関係の断捨離をしないと、自我が保てなかった。高校生になったので、アカウントを消した。大学生になったので、消した。純粋にパスワードとか忘れて、アカウントを消した。(ここ最近もやってしまったので、流石に気を付けないといけないなと思います)

 最後のは、どう考えても自分のミスですが、常人ならアカウントをいくつも持たない(はず)なので、自分が悪いです。

 結局、自分は成人式に行かなくて唯一それだけ後悔しました。なのに、色々あって再会できて今ではたまに酒を飲むくらいです。だから、成人式に行かないと、会えない人に会えないわけじゃないから、いつまでも悲観的に思う必要はない、気がします。

 

 自分が言いたいのは、人の意見を全て鵜呑みにする必要はないと言うこと。どれだけ自分が尊敬していたとしても、全てを聞く必要ない。正しくないと思ったことは、正しくないって発言していい、もう成人なんだから。

 世の中に絶対はないし、全てが正しいなんてあるはずがない。この記事も鵜呑みにしなくていい、ただこんな思想の持ち主がいる程度の認識でいいです。自分が一番大事、人間みんなどうせ承認欲求の塊なんだから。

 

 なんの不満もなく、成人式に行って級友に出会って仲良く酒でも飲んできた人には、自分みたいな人間が発してる言葉の意味なんか分からないし、理解したいとも思わないはず。

 理解しなくていいと思います。

 

 小学校から不登校、中学高校をほとんど欠席で過ごした結果、大学はなぜか通えてる程度のメンヘラが、レポートに疲れすぎて、ただただ文句を垂れ流してるだけなんで。

 

 最後に。

 否定ばかりされていて疲れてる人は肯定してくれる人間を見つけたら、少しは心が軽くなるかもしれません。でも、難しいですよね。

その場合は、相坂優歌さんという声優を知りましょう。

否定しない人を近くで見つけることは大変かもしれないけど、声優さんは行動力と財力があれば会えるし、たまに喋れます。

 喋れなくても、否定しない人間の話を聞くだけでも心は多少軽くなると思います。

 

 成人式は行かなくても大丈夫です。行かないことは悪いことじゃないし、行かないという選択肢を取れたなら、成長かもしれない。今まで全部周りに同調してきたのに、苦痛でしかない成人式は断れたとしたのなら……着実に変われてると思う。

 

 ……、最後にとか言ったのにまとめ方がいまいち思いつかないので相坂優歌さんの曲から一部抜粋して載せておきます。

 

「変わりたい 壊したい 逃げ出す自分 全てを偽らずに 君に受け入れて欲しいよ 走り続ける先に 待ち受けているのは 悲しい運命でも 「今」信じていたい」